触れの感覚
操体における重要テーマの一つである
「感覚」 についてでございますが、
これを述べるにあたって
はずせない項目が皮膚感覚についての考察であります。
操体の臨床では
動作を分析することによって
身体の状態を診断するいわゆる
「動診」 が基本の診断方法とされていますが
元より感覚を分析するうえで
単に動いただけの二者択一を迫る方法では
無理があるとまでは言いませぬが
極めて狭義な手法に絞られてしまう危険性があります。
常々、固執するべきはテクニックではなく、
原理原則であることを説いている所以がここにございます。
感覚を味わううえで
最も体感しやすい部位は皮膚であり、
これは老若男女、大方共通して言えることでしょう。
皮膚における研究は学術的にも
まだまだ遅れている分野ですけど、
操体法 御大 橋本敬三医師も
その著作において皮膚を運動系の一部と定義づけ、
それを掘り下げる所業については後世へと
託しておられるんですね。コレが。
ここではまだ研究段階における
学術的考察はひとまず置いておいてですね
臨床における触れの感覚について
つれづれなるままに述べてみたいと思います。
熟練の操者の施術を受けてみると
操体法やマッサージといった流派に限らず
ただ触れられただけで思わず
「うきゃー」
と声を上げたくなる何ともいえない快感覚があります。
さながら風呂に入ったときの最初のあの感覚です。
この深部にまで響きわたるような感覚は
まさに言葉では表現し難い”味わい” の世界でございまして、
単に手が温かければいいというものではないんですよ。
無論、冷たいよりは温かい手の方が良いでしょうけど、
温感や冷感は季節を始めとする環境によって
左右されてしまう次元の話でありまして、
湧き上がるような気持ち良さとは別物と捉える必要がありましょう。
私めが目指すべく施術者の姿でもあるので肝に銘じておきたいです。
快感覚を味わうことによって
人間は何らかの好転反応を示します。
それを前提とすれば動診以前の
最初に触れた段階で施術は始まっており、
既に操体の臨床になっているのですね。
さほど難しく捉えなくても
皆さんも日常の生活のなかで十分経験されていることと思います。
子供時代、両親から背中をなでられた時に
味わった感触を思い出してみてください。
我々、操体専門の施術者は
原始感覚を味わっていただくためのお手伝い役であり、
操体という名前、スタイルはその道しるべの一つに過ぎないです。
今後も皮膚についての研究は掘り下げる余地が多分にありますが
理屈以前に、大らかな、包み込むような感性こそが
人に触れる施術者には要求されることでしょう。
私めもその境地に達すべく、
日夜、施術と修行に励んでおります。
私めがゴッドハンドになるっていうんではなく、
あくまでゴッドは皆さん自体なんですけどね。 ほほほ
でも、本当にこの触れた感触こそが
皆さんにも分かりやすい感覚の一つだと思います。
私めもですね、子供時代、
ボール遊びしている時の苦い思い出がございましてん。
暴投の結果、茂みに入りこんでしまった
ボールを手探りで探している時にね、
何か触ってはいけないモノを触ったときの
感触、感覚ってわかりますもんね。
毛虫の死骸であったり、犬のウンコであったりなど、
誰しも経験あることと思います。
え?私めだけですかね? ふへへへ
「感覚」 についてでございますが、
これを述べるにあたって
はずせない項目が皮膚感覚についての考察であります。
操体の臨床では
動作を分析することによって
身体の状態を診断するいわゆる
「動診」 が基本の診断方法とされていますが
元より感覚を分析するうえで
単に動いただけの二者択一を迫る方法では
無理があるとまでは言いませぬが
極めて狭義な手法に絞られてしまう危険性があります。
常々、固執するべきはテクニックではなく、
原理原則であることを説いている所以がここにございます。
感覚を味わううえで
最も体感しやすい部位は皮膚であり、
これは老若男女、大方共通して言えることでしょう。
皮膚における研究は学術的にも
まだまだ遅れている分野ですけど、
操体法 御大 橋本敬三医師も
その著作において皮膚を運動系の一部と定義づけ、
それを掘り下げる所業については後世へと
託しておられるんですね。コレが。
ここではまだ研究段階における
学術的考察はひとまず置いておいてですね
臨床における触れの感覚について
つれづれなるままに述べてみたいと思います。
熟練の操者の施術を受けてみると
操体法やマッサージといった流派に限らず
ただ触れられただけで思わず
「うきゃー」
と声を上げたくなる何ともいえない快感覚があります。
さながら風呂に入ったときの最初のあの感覚です。
この深部にまで響きわたるような感覚は
まさに言葉では表現し難い”味わい” の世界でございまして、
単に手が温かければいいというものではないんですよ。
無論、冷たいよりは温かい手の方が良いでしょうけど、
温感や冷感は季節を始めとする環境によって
左右されてしまう次元の話でありまして、
湧き上がるような気持ち良さとは別物と捉える必要がありましょう。
私めが目指すべく施術者の姿でもあるので肝に銘じておきたいです。
快感覚を味わうことによって
人間は何らかの好転反応を示します。
それを前提とすれば動診以前の
最初に触れた段階で施術は始まっており、
既に操体の臨床になっているのですね。
さほど難しく捉えなくても
皆さんも日常の生活のなかで十分経験されていることと思います。
子供時代、両親から背中をなでられた時に
味わった感触を思い出してみてください。
我々、操体専門の施術者は
原始感覚を味わっていただくためのお手伝い役であり、
操体という名前、スタイルはその道しるべの一つに過ぎないです。
今後も皮膚についての研究は掘り下げる余地が多分にありますが
理屈以前に、大らかな、包み込むような感性こそが
人に触れる施術者には要求されることでしょう。
私めもその境地に達すべく、
日夜、施術と修行に励んでおります。
私めがゴッドハンドになるっていうんではなく、
あくまでゴッドは皆さん自体なんですけどね。 ほほほ
でも、本当にこの触れた感触こそが
皆さんにも分かりやすい感覚の一つだと思います。
私めもですね、子供時代、
ボール遊びしている時の苦い思い出がございましてん。
暴投の結果、茂みに入りこんでしまった
ボールを手探りで探している時にね、
何か触ってはいけないモノを触ったときの
感触、感覚ってわかりますもんね。
毛虫の死骸であったり、犬のウンコであったりなど、
誰しも経験あることと思います。
え?私めだけですかね? ふへへへ
by niwabe
| 2008-04-07 20:25
| 操体法